大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和55年(オ)1023号 判決

上告人

岩田正

右訴訟代理人

石井成一

小澤優一

小田木毅

櫻井修平

阿部正史

水谷直樹

加藤美智子

被上告人

並木精密宝石株式会社

右代表者

並木一

右訴訟代理人

播磨源二

大久保誠太郎

畔上英治

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人石井成一、同小澤優一、同小田木毅、同櫻井修平、同阿部正史、同水谷直樹、同加藤美智子の上告理由第二点について

民法五七六条但書にいう「担保ヲ供シタルトキ」とは、売主が買主との合意に基づいて担保物権を設定したか、又は保証契約を締結したなどの場合をいい、担保の提供について買主の承諾を伴わない場合はこれにあたらないと解するのが相当である。これと同趣旨の原審の判断は正当であり、右と見解を異にする論旨は、採用することができない。

同第一点及び第三点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(牧圭次 木下忠良 鹽野宜慶 宮﨑梧一 大橋進)

上告代理人石井成一、同小澤優一、同小田木毅、同櫻井修平、同阿部正史、同水谷直樹、同加藤美智子の上告理由

第一点 〈省略〉

第二点 原判決には、民法五七六条但書に関し、法令の解釈、適用を誤つた違法がある。

一、すなわち原審は『民法五七六条の但書の「担保ヲ供シタルトキ」の解釈として買主の承諾を必要とするか否かの点について考えるに、右の担保供与とは担保を成立させることをいうものであつて、買主との間で、担保物権を設定し又は保証契約を締結したことを要し、買主の承諾を伴わない担保物権設定又は保証契約締結の単なる申込みは、右の担保供与に当らないものと解するのが相当である(類似の規定である商法九一条二項の解釈についての最高裁判所昭和四七年(オ)第四九六号同四九年一二月二〇日第二小法廷判決、判例時報七六八号一〇一頁参照)。』として、買主の承諾が必要であると解している。

二、しかしながら上告人は同条但書にいう「相当ノ担保ヲ供シタルトキ」とは、客観的に相当な担保の現実の提供をすれば足り、必ずしも買主の承諾は必要としないと解するのが相当であると思料する。

すなわち、

(一) まず第一にその供与しようとする担保が客観的に「相当ノ担保」である限り、買主の承諾を不要としてもその利益保護に欠けるところはない。

ところで原審は、承諾不要説を採つた場合、買主は申込みを受けた担保の相当性について判断をしなければならない不利益を受けまた右相当性について売主と買主との判断の相違から両者間の法律関係が不明確、不安定となるおそれも少なくないと指摘する。

しかしながら、

イ 同条但書にいう「相当ノ担保」によつて担保されるべき損害とは、買主の履行利益ではなく、信頼利益に限られる。すなわち、第三者から権利主張があり、その結果買主がその買受けた権利の全部又は一部を失つた場合に売主が買主に対し賠償しなければならない損害とは、民法五六一条所定の売主の担保責任としての損害をいうものと解すべきところ、右損害の範囲は買主においてその権利が売主に属しなかつたことを知らなかつたために被つた損害、すなわち信頼利益に限られ、売買契約が履行された場合に買主が得たであろう利益、すなわち履行利益は含まれない。

ロ 更に、民法五七六条の本文及び但書の表現形式からみると、右の「相当ノ担保」とは買主の代金支払拒絶権を消滅せしめる限度において相当であれば足りると解すべきであり、従つて最大限売買代金全額に相当する担保をもつて足りるものというべきである。

ハ 買主が売買の目的たる権利を失つた(取得できなかつた)場合に蒙るべき具体的な損害額については、これを売主が予測することは困難であつても、買主にとつてはすべて自己の支配、範囲内のことがらであるからこれを予測することは、それ程困難なことではない。

以上のように民法五七六条但書にいう「相当ノ担保」によつて担保されるべき損害とは、信頼関係に限られかつその最高限度額も自ずと画されかつ具体的にいかなる損害が生じうるのかについて買主はこれを容易に予測しうるのであるから、承諾不要説は原審の指摘する程買主に不利益を与える訳でもなくまた法律関係の不明確、不安定をもたらすものでもない。

(二) 第二に、民法五七六条の規定だけに着目すれば、その但書による担保の供与は本文による買主の代金支払拒絶権に対しその拒絶権を消滅させる対抗手段として売主に認められたものであるから、それについて前記のように相手方たる買主の承諾を要すると解することは、右但書が設けられた意義を著しく減殺し、売主の利益を害することになる。

すなわち売主が客観的に相当な担保を現実に提供しても、買主が本件のように右担保受入れの協議を拒絶する場合には、承諾必要説に立つ限り売主は「担保の相当なることを認め担保設定に同意すべき」旨の承諾に代るべき判決を求めることを余儀なくされ、右但書の意義は著しく減殺する。ちなみに右承諾に代るべき判決を求め、訴訟をおこして時間と手間をかけて「担保の相当なることを認め担保の設定に同意すべき」旨の判決が得られたとしても、これだけでは売主、買主間に具体的な担保設定が実現される訳ではない。

なお原審は、売買の目的物につき権利を主張する者があつて買主がその買受けた権利を失う(取得できない)おそれがあるという事態が生じた場合に、売主は代金の支払を拒絶されてもその供託を請求することにより代金支払は保障されている旨指摘する。

しかしながら代金供託の請求は、民法五七八条にもとづき何らの担保を提供することなしに請求できるものであり、また供託を請求することができるだけであつて売主が代金の支払を現に受けられる訳ではない。

本件訴訟での問題は、買主がその買受けた権利を失う(取得できない)おそれがあるという事態が生じた場合に、売主はどうしたら売買代金を買主から現に支払つてもらえるかということであり将来における代金支払の保障ではない。民法五七六条はまさしくそのような売主の関心に対して「相当ノ担保ヲ供シタルトキ」は、買主は代金支払を拒絶しえず売主は現に代金支払を受けられる旨規定している。

(三) また民法五七七条所定の買受不動産に担保物権が存した場合に認められる買主の代金支払拒絶権についても、売主の買主に対する滌除の手続をなすべき請求にて一方的にこれを消滅せしめうること(札幌高等裁判所昭和三五年(ネ)第一四五号同三八年一〇月二六日判決高等裁判所民事判例集第一六巻五七七頁)と較べても民法五七六条但書の担保提供に買主の承諾を必要とする説は同じく衡平の見地から買主に代金支払拒絶権を与えた五七七条との対比において著しく権衡を失する。

(四) つぎに原審の引用する商法九一条二項についての昭和四九年一二月二〇日言渡の最高裁判所判決については、判決文中に「商法九一条二項所定の強制退社予告の効力を失わせる相当の担保を供したときとは、差押債権者との間で、担保物権を設定し、又は保証契約を締結した場合をいい、差押債権者の承諾を伴わない担保物権設定又は保証契約締結の単なる申込みは、右担保の供与にはあたらないと解するのが相当である。」との記載がある。

しかしながら、右事件における担保提供とは、商法九一条二項所定の担保として金銭を法務局に供託したという事例であるところ、供託法一条は法令の規定ある場合にのみ供託を許し明文で供託によりうる規定なき限り供託を受理しない現行実務の取扱(有斐閣注釈民法(12)二八三頁参照)からいえば、右担保提供はそもそも商法九一条二項所定の担保としての供託ではありえないこと明白である。

したがつて右判示は、商法九一条二項所定の担保提供に債権者の承諾を要するか否かの論点に答えたものではなく、また「単なる申込み」ではなく「相当なる担保の現実の提供」の場合については何ら言及していないのであるから承諾必要を何ら根拠づけうるものではない。

(五) 以上のように民法五七六条但書の「相当ノ担保ヲ供シタルトキ」の解釈については売主において客観的に相当な担保を現実に買主に対して提供すれば足り必ずしも買主の承諾を必要とするものではないと解するのが相当であるから、買主の承諾を必要とする同条但書について原審の解釈は判決に影響を及ぼすこと明なる法令の解釈適用に誤つた違法があり原判決は破棄を免れない。

第三点 〈省略〉

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